画像の問題系 演算性の美学
gnck
gnck「画像の問題系 演算性の美学」を読んで - 凸と凹の間
画像という言葉
それぞれに固有の呼び方がされていた
写真、絵画、漫画、イラスト…と
それぞれの美学的体系のイメージ
現在では画像という枠組みで語られる 音源 や 動画 も同じ
コンピューター・電子計算機において画像は記述される
ビットマップとベクター
画像のデータはそれを誰かがフォーマットを定義してプログラムとして実装しなければ存在しえない
ビットマップ=ヴェネツィア派 ベクター=フィレンツェ派
または ビットマップ=原子論 ベクター=イデア論
都築潤のnew eidos
イラレで紙のありがたみをやった
eidos=実現されたイデア
イデア論的にはまあ分断されたもんじゃないという話
二項対立の解体に意識的な論考
ドット絵はなぜ美しいのか
https://www.pixiv.net/artworks/9308538
半ドットとかこすい
ビットマップ性を明らかにしながらそこに像があること 二重性
最小で十全に完結している状態
ジャギー.アンチエイリアシング
中ザワヒデキ
アンチアンチエイリアシング
にそぎひろゆき
アンチアンチアンチエイリアシング
ビットマップ bpm 幼鳥が大きいから不普段は圧縮される
GIFが代表的
JPEG
トーマス・ルフのjpegs
フーリエ変換と画像圧縮
サイン波で記述する
音声処理にも使われている
フーリエ変換で画像が出てくるる
インターネット・リアリティ
GIFとJPEGどっちが硬い
youpy「GIFの硬くてjpgはぬめっとしてる」
1ピクセル
retinaディスプレイ
実際に1ピクセルを拡大する作品
1pxは実際に拡大すると汚い
計算な概念としてしか1pxはない 人間の頭の中とコンピューターのなかにしかない
グリッチ
ucnvの作品
ギャラリーに入ってすぐに居るためdelispやモニターを踏まないといけなくなる
データモッシュ
低解像度の話
メディアが発達すると透明になる
あえて低い解像度やグリッチの貧しい状態で画像が持っている筆触のようなものが蘇る
絵画的なアプローチ
筆触=画面に触れるインターフェースとしての筆
バイナリエディタでグリッチを起こせる
Hex Fiend
ヘッダは破壊しないほうがいい
適当に入れ直しても見えるのがJPEGの堅牢な部分
フーリエ変換の波が見えたりする
JPEG 2000は強い 堅牢
MP4面白い
止まる
Audacityグリッチ
jQueryGlitchPlugin
safariは表示しなくなっちゃう
ブラウザによって使うレンダリングエンジンが違うから実は見ている画像が辿っている経路は異なる
誰にとってグリッチか?
コンピューターにとっては開けているからグリッチではない
人にとって変に見えてるだけで画像が開けているからデータは壊れていないという説
画像、動画は毎回計算結果が同じシミュレーションの話
グリッチ音楽
刀根康尚
Oval
Post - Post
まとめの部分
すみれの花束をつけたベルト・モリゾ
エドゥアール・マネ
絵具でありながら像を結ぶことの二重性
その像を成立させている手業の痕跡
コンピューター上の画像の筆跡はマウスやペンタブレットというインターフェースで現れるか?
そんなことはない
電子的に仮構されたコンピューターが絵具とキャンバスの代わりに用いられることのほうが重要
JNTHEDのデフォーム(JNTHED)
デフォルメされたサイズの、キャラクターの造形である
元は写真
そこに手が加わっている、という過程を残すように作っている
痕跡
ピクセルであることが明らかであるにもかかわらず、それが像として現前していること
ドット絵の最小の手数による十全性
奇跡的
デフォームも最小限の手数で人間がキャラになる奇跡
結果が最小限なだけで実際は無数のundoがあるかもしれないのがデジタルの世界
ジャギーは汚れではなく結晶
1ピクセルが小さくなる
という状況ではジャギーは確信犯的に使われることになる
過去は不可避的に現れていたが今は美意識の現れになった
結論
像の現前とは、そもそも絵が持つ魔力(=魅力)であり、最っ証言の手数でそれが十全に成立しているものは、それゆえにそのメディウムを明らかにし、美しい、という話である。
像の現前に演算処理が介在いsていることの、その画像的なあらわれを画像の演算性の美学と呼びたい。
画像の演算性の美学とは、かのSFの命題のごとく、行動に魔法化し、透明化していく画像というメディウムについての、それが透明化する前、その原理的な美についてのノートである。